雨の匂いがした。市ヶ谷を過ぎた辺りで。
会社を出る時すでに、すっかり暮れた空の中にも、黒い雲を確認できていた。なので、出発の時から嫌な予感がしていた。嫌な予感は市ヶ谷の雨の匂いで不安に変わった。
愛車銀色2号のCAAD8はトップギアで軽快にほぼ平坦に見える実は上り坂を転げ落ちて行った。
中央大学のキャンパスが右手に見える交差点で、傘を差している人を3人見かけた。
雨は降っていないが不安は確信に変わった。
雨の匂い。降ってもいないのに傘をさす人々。
間違いない。この先は雨だ。
大切な銀色2号を雨の中走らせたくない。
理由はその後のメンテが面倒くさいからだが。
曙橋にさしかかる頃、ぽつぽつと顔に水滴が当たる。
新宿のビル群がだんだん近づいてくる。
路面が濡れてくる。
左に曲がれば新宿御苑という交差点で、とうとう本降りになった。
タイヤが巻き上げる水がお尻を濡らす。もうここまで濡れれば諦めがつく。
新宿の大ガードを抜けて、東京医大を左手に見る頃、もう雨脚は弱まってきた。
車通りの多い靖国通りを避け、神田川沿いの道に避難する。
いつもなら小虫の多いこの道も、今日はいない。その代わりに雨水が目の中に飛び込んでくる。
山手通りを横断すると家はもうすぐ。ファイナル・デスティネーションだ。
雨脚は弱まったものの、路面に溜まる水は多く、アスファルトに街灯の光を綺麗に映し出している。
マンホールに注意しながら自宅前の通りに出る。我が家まであと500メートル。
丸ノ内線の非常出口の工事現場を横目に見ると、我が家はもうすぐ。
あと100メートル。
僕の横を緑色のタクシーが水飛沫をあげながら猛スピードで追い抜いていく。
あと50メートル。
自宅マンションのエントランスに入るために歩道に乗り上げる。
そして到着。
空を見上げると、星が見えた。
そう、家に着くと同時に雨は上がっていた。
僕は「毎度のことだ」と、雨上がりの夜空に肩をすくめた。
会社を出る時すでに、すっかり暮れた空の中にも、黒い雲を確認できていた。なので、出発の時から嫌な予感がしていた。嫌な予感は市ヶ谷の雨の匂いで不安に変わった。
愛車銀色2号のCAAD8はトップギアで軽快にほぼ平坦に見える実は上り坂を転げ落ちて行った。
中央大学のキャンパスが右手に見える交差点で、傘を差している人を3人見かけた。
雨は降っていないが不安は確信に変わった。
雨の匂い。降ってもいないのに傘をさす人々。
間違いない。この先は雨だ。
大切な銀色2号を雨の中走らせたくない。
理由はその後のメンテが面倒くさいからだが。
曙橋にさしかかる頃、ぽつぽつと顔に水滴が当たる。
新宿のビル群がだんだん近づいてくる。
路面が濡れてくる。
左に曲がれば新宿御苑という交差点で、とうとう本降りになった。
タイヤが巻き上げる水がお尻を濡らす。もうここまで濡れれば諦めがつく。
新宿の大ガードを抜けて、東京医大を左手に見る頃、もう雨脚は弱まってきた。
車通りの多い靖国通りを避け、神田川沿いの道に避難する。
いつもなら小虫の多いこの道も、今日はいない。その代わりに雨水が目の中に飛び込んでくる。
山手通りを横断すると家はもうすぐ。ファイナル・デスティネーションだ。
雨脚は弱まったものの、路面に溜まる水は多く、アスファルトに街灯の光を綺麗に映し出している。
マンホールに注意しながら自宅前の通りに出る。我が家まであと500メートル。
丸ノ内線の非常出口の工事現場を横目に見ると、我が家はもうすぐ。
あと100メートル。
僕の横を緑色のタクシーが水飛沫をあげながら猛スピードで追い抜いていく。
あと50メートル。
自宅マンションのエントランスに入るために歩道に乗り上げる。
そして到着。
空を見上げると、星が見えた。
そう、家に着くと同時に雨は上がっていた。
僕は「毎度のことだ」と、雨上がりの夜空に肩をすくめた。
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この世は不公平で不平等なものであるなんて知っているつもりだし、その事に声を荒げて批判するつもりなど毛頭無い。けれども、どうしても不条理に感じてしまう時もある。
今や70億にも迫ろうかという人の数から言っても、人間の生死など、もはや俯瞰で見れば些細な事だと言うことも理解できる。けれどもやっぱり、等しく必ず死は訪れるのに対し、生は必ずしも誰にでも均等に与えられる物ではない事に理不尽を感じずにはいられない。
けれども僕がどう感じて、どう思っても、それこそどうにもならないことも解っている。にわかに哲学的な事を考えたって答えなど出ないし、むしろ答えを出そうとしない自分にも気が付いている。解ってる、でも許せないの堂々巡り。神などいない。偶像崇拝などくそくらえだ。どうとでも解釈できる慰みの言葉なんていらない。
止めよう。こんな思考は無意味だ。もしすべてが消え去るために現れたのなら、僕らもみなきっとそれに値するのだろうから。
11年の短かかった命に、感謝と魂の平安を祈って。Mへ。
今や70億にも迫ろうかという人の数から言っても、人間の生死など、もはや俯瞰で見れば些細な事だと言うことも理解できる。けれどもやっぱり、等しく必ず死は訪れるのに対し、生は必ずしも誰にでも均等に与えられる物ではない事に理不尽を感じずにはいられない。
けれども僕がどう感じて、どう思っても、それこそどうにもならないことも解っている。にわかに哲学的な事を考えたって答えなど出ないし、むしろ答えを出そうとしない自分にも気が付いている。解ってる、でも許せないの堂々巡り。神などいない。偶像崇拝などくそくらえだ。どうとでも解釈できる慰みの言葉なんていらない。
止めよう。こんな思考は無意味だ。もしすべてが消え去るために現れたのなら、僕らもみなきっとそれに値するのだろうから。
11年の短かかった命に、感謝と魂の平安を祈って。Mへ。
2010年6月7日
天気予報では曇りのち雷雨だった。
午前中は確かに曇ったが、午後はピーカン照りで暑くなり、とても良いコンディションの中で娘の通う中学校の運動会が開催された。
去年も書いたと思うけど、やっぱり中学校の運動会は小学校に比べると、当然の事ながら迫力が違う。三年男子の選抜リレーなんかは、もう身体はオトナの若者が全力疾走で走るのだ。そのスピードに圧倒され、失った若さに少し嫉妬するも、楽しく見ることが出来た。
本当は高校の体育祭にも行きたいんだけれども、多分、無理だろうなぁ~。娘に嫌がれるのは必至だろう。自分の事を思い返すと、高校の体育祭なんて、親来なかったモノな。あ、そういえば中学の頃もウチの親は来てなかったな……。
午前中は確かに曇ったが、午後はピーカン照りで暑くなり、とても良いコンディションの中で娘の通う中学校の運動会が開催された。
去年も書いたと思うけど、やっぱり中学校の運動会は小学校に比べると、当然の事ながら迫力が違う。三年男子の選抜リレーなんかは、もう身体はオトナの若者が全力疾走で走るのだ。そのスピードに圧倒され、失った若さに少し嫉妬するも、楽しく見ることが出来た。
本当は高校の体育祭にも行きたいんだけれども、多分、無理だろうなぁ~。娘に嫌がれるのは必至だろう。自分の事を思い返すと、高校の体育祭なんて、親来なかったモノな。あ、そういえば中学の頃もウチの親は来てなかったな……。
Nikon D90+AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-300mm F4.5-F5.6G (IF)
昭和も終わりに近づいている頃だったと思う。いや、昭和が終わるなんて当時誰も思っていなかったけどの中学二年生くらいの頃だっただろうか、国語の先生に詩集を借りた(未だに返していなくて手元にある)。新川和江という、とても僕のお袋に似た女性の詩集だ。その中の「日常の神」というタイトルの詩というのか随筆というのか……、とにかくその出だしの数行に僕の心は留まった。
心に留まったものの、理解は出来なかった。理解したような振りをしていたような気がする。では今は理解しているのか。それは甚だ疑問である。しかし、僕は何か事がある毎にこの一節を思い出すのだ。「単一で純粋な行為などというものがあり得るだろうか」と、自分自身に問いただすのだ。「人によっては」などという但し書きなどいらない。自分自身に問いかけるのだ。問いかける毎に答えは違うかもしれない。もしかしたら答えなどないかもしれない。でも自分自身に問いかけずにはいられない時がある。そうやって自分自身を振り返る。ほんの微塵も単一でしかも純粋な行為(行動)などあっただろうか。
踏み越えることの出来ない理想と現実とのギャップ、そして何よりも自分自身の心の中に潜むどろどろとしたスープ状に煮えたぎる混沌に今日も僕は恐れおののくのである。
単一で純粋な行為などというものがあり得るだろうか。またなにものをも傷つけぬ優しさなどという徳目が。
わたしの動作は渋滞を示しはじめ、もの言いは日増しにたどたどしくなっていった。というのも、なにげなく窓を開けたり、背中のファスナーを引き上げたり、玉葱の皮を剥いたり--というごく日常的な行為のあいまあいまに、わたしの耳はしばしば、得体の知れない悲鳴を聞くようになったからだ。わたしは窓を開けながら、とほうもないなにかを一緒に開けてしまったのではないか。ファスナーを引き上げついでに、なにかを共々アルミ色の歯に銜(くわ)え込ませて、永遠に封じてはならない掟のものを、強引に綴じ合わせてしまったのではないか。思想社刊 現代詩文庫64 新川和江詩集「日常の神」より引用
心に留まったものの、理解は出来なかった。理解したような振りをしていたような気がする。では今は理解しているのか。それは甚だ疑問である。しかし、僕は何か事がある毎にこの一節を思い出すのだ。「単一で純粋な行為などというものがあり得るだろうか」と、自分自身に問いただすのだ。「人によっては」などという但し書きなどいらない。自分自身に問いかけるのだ。問いかける毎に答えは違うかもしれない。もしかしたら答えなどないかもしれない。でも自分自身に問いかけずにはいられない時がある。そうやって自分自身を振り返る。ほんの微塵も単一でしかも純粋な行為(行動)などあっただろうか。
踏み越えることの出来ない理想と現実とのギャップ、そして何よりも自分自身の心の中に潜むどろどろとしたスープ状に煮えたぎる混沌に今日も僕は恐れおののくのである。
Nikon D90+AF-S DX NIKKOR 16-85mm F3.5-5.6G ED VR
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プロフィール
HN:
Ocha
年齢:
52
HP:
性別:
男性
誕生日:
1972/11/25
職業:
会社員
趣味:
多数
自己紹介:
若い頃は転々と職を変え、一時は教習所の教官を経験するも、結局古巣の建設業に戻り、現場監督から、現在は設計者に。
酒と煙草と家族と亀を愛するアラフォー万年平社員。
そして職歴と同じようにブログも転々とし、三度地面の下から復活。殆ど時事ネタを書かない、情報としては全く価値のない私的な内容を送る、読んでも全くタメにならない、どーしよーもないこのブログへようこそ。
※写真はクリックすると少し大きく表示されます。
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